京大・阪大・神大

 

結婚するなら 京大生、
デートをするなら 神大生、
引っ越しするなら 阪大生(笑)

「京大の単位は空から降ってくる」
「神大の単位は道に落ちている」
「阪大の単位は地面を掘っても見つからない」

 
 (阪大 いちょう祭)

 
 上に掲げたのは、いずれも大阪大学で語られる有名なジョークである。阪大の学生は確かによく勉強させられる。これに対して、京都大学の学生は・・・・・

 もちろん、京都大学にも言い分はある。総合人間学部(地学教室)のホームページに、かつて次のような趣旨のことが書いてあり感心した。

「京都大学の教育方針は、一言でいえば放任主義である。
 第一に学生が教官の「枠」からはみ出さなければ、科学の発展はない。卒業研究のテーマも狭い意味の地球科学にこだわらないし、他学科、他学部の講義を積極的に聞くことを薦める。

 第二に、大学は「畑」である。卒業生の製造工場ではない。育つのは「学生」であって、教官は肥やしと水をまくくらいしかできない。そして、曲がったキュウリも曲がったなりに育てるのが京大の伝統である。育たないものを無理やり育てることもしない。きれいな言葉で言えば「自由」であるが、 自由という言葉には落とし穴がある。

自由は決して気楽なものではない。自由である以上、その結果はすべて自分の責任である。
 

エッセーに戻る

 

トップメニューに戻る